ぼっち生活が続くと寂しい気持ちに苛まれることは何度も経験する。
それでもその生活が長くなりすぎるとゲームでいうカンスト状態になり、いつしか寂しい気持ちすら感じないほどの賢者にもなれるのだ。
完・・
1.何かに没頭する
冗談はさておき、ぼっち生活が続くと寂しい気持ちに苛まれ生きるのも嫌になってくる時期があります。
僕はというと、30年以上彼女ができたこともありませんし、高校卒業後に友達になった人は一人もいません。
高校時代までに友達になった人とも今では交流することもなく、果たしてそれは今”友達”と言っていいものなのか判断するのに困ってしまうほどのぼっちとなってしまいました。
もともと自分から誘ったり話しかけたりするのが大の苦手で、友達になってくれる人は皆あちらから話しかけたことがきっかけで出来た友達です。
こうなってしまったのは、親の離婚や再婚相手からのDV、生まれつきアトピーだったというのが背景にあると思います。
まあそれも自分を肯定する言い訳に過ぎませんが、全ては自分の招いた結果。
ぼっちで寂しい気持ちを払拭するためには現状を受け入れるか現状を打破するための行動をとるかその2択しかありません。
分かりやすく言えば、このままぼっちでいるか、恋人や友達をつくるかを選択するということです。
僕は人と関わるのが大の苦手なので前者を選択→今に至ります。
もしもぼっちで寂しくて恋人や友達が欲しいと思うならこの記事を読む理由はありませんのでブラウザバックしてください。
ここではぼっちでも誇らしく、充実した生活を送っていくための手段をお伝えする目的の記事となっております。
では早速ぼっちで寂しい気持ちを払拭するための方法ですが一つ目は何かに没頭することです。
人は何かに集中したり夢中になっている時間は寂しさや不安な気持ちが湧きません。
独りぼっちだと他人とできることや共有できる時間が少ないため何かに夢中になる時間は必然と少なくなります。
だからこそ、一人でも没頭できるものだったり夢中になれるものを探す努力はすべきです。
アニメ鑑賞だったりお絵描きだったリプログラミングの学習など何でもいいです。
没頭できるものが一つでもできると寂しい気持ちを感じる暇なんて無くなります。
それができないのなら、手っ取り早く友達や恋人を探したほうが良いでしょう。
2.ネットでつながりを持つ
どうしても寂しい気持ちに勝てない時はネットでつながりを持つことも考えてみてはいかがでしょうか。
今の時代ツイッターやインスタグラム、各サイトのコミュニティなどネットを通じていくらでも人とつながることができます。
昔の僕はオンラインゲームを通じてゲーム仲間を作ったり、SNSを通じて交流を深めていたものです。
今はそれすらもストレスに感じ、そういった交流はほとんどなくなりましたが、仲間とやりとりしている時間は寂しい気持ちになることはありませんでした。
はて、歳を取るにつれコミュ障になっている気がするのはなぜだろう・・もしかしてテストテロン値が減少しているのか?
そんなことはどうでもいいですね。
最近はyoutubeなんかでコメントをして交流することもだってできます。
僕はニコニコ生放送も利用していましたが、やはり配信者の方から反応があると嬉しくなるものです。
3.人の集まるところにいく
何かに没頭する努力をした、ネットで交流する努力もした、それでも寂しい気持ちが拭いきれない・・・
そんな時は人の集まるところに行くことをお勧めします。
ライブとかそういった類のものではなく、一人暮らしで寂しい思いをしているなら実家暮らしに戻ったり、ニートで人と会う機会が無いのなら思い切って社会に出てみたり。
一時的ではなく定期的に人と顔を合わす場を設けるのです。
今考えるとコミュ障で人と言葉を交わすのが苦痛ではありましたが、人の顔を間近で感じると安心する、そんな自分がいたように思います。
寂しい気持ちは孤独からくるものあります。
人と顔を合わす機会が無いとどうしても、孤独感は強まるので自ら人の集まる場所に行くというのは理に適っているのです。
ん?でもそれは「ぼっち」ではないのでは?と思うかもしれません。
そもそもこの世に自分以外の誰がいる時点でぼっちではないわけです。
自分がぼっちだと思えばぼっちだし、そうでなければぼっちではない。
僕なりのぼっちというのは周りに人はいるものの、自分の領域に人がいない状態のことをぼっちだと定義しています。
だから会社に通っていても、家族で暮らしていても自分の領域にその人たちがいなければ、僕の中ではぼっちなんですよ。
僕はそういう状況にいます。
客観的に観たら寂しくてつまらない人間だと思われるかもしれませんが、居心地はかなりいいです。
他人に干渉されず自分の時間を有意義に使えるのですから。
まとめ
ぼっちだと寂しい気持ちになることもあるでしょう。
けれどもそれを乗り越えられた先はこれほど居心地のいいと感じることは外に無いと感じるようになります。
まさにそれは賢者にもなったような感覚。
アニメを観るだけで幸せを感じ、食事の一口一口に感謝の念が生まれ、ありとあらゆる人たちを尊敬する毎日。
ぼっち生活を極めるとそんな生活を送ることができるのです。
人は一人では生きていけない。
だからこそ自分以外の人たちは儚い存在で有難い存在なのだと改めて実感させられます。