アニメ「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている 完」を観ましたのでそれの感想です。
「想いは、触れた熱だけが確かに伝えている。」うん、ちょっと何言っているかわからないですね。
まずこれを言いたかった。
あともう一つ「プロム」って結局何だよ!
よし、もう言いたいことはすべて言ってすっきりしたので解散です。
総評:面白かったけど消化試合感が凄かった
本記事はネタバレを含みます。
まだ原作、アニメ完結編を観られていない方はブラウザバック推奨です。
さて早速感想を述べていきますが、結論から言うと面白くはあったが、1・2期と比べるとそこまでではなかったというのが正直な感想です。
いうなれば、もう試合の結果が見えている状況を「まあ、あれだけ得失点差があれば結果は変わらないよね」と思いながら1話ずつ消化試合を見ているような感覚です。
俺ガイルは自虐的ギャグを中心としたギャグも面白い要素の一つでしたが、あれだけシリアスな空気が流れるとちょっとしたギャグが寒気すら感じてしまほど笑えない・・というシーンが何度もありました。
申し訳ないですが何だかよくわからない玉縄さんとのラップバトルは1mmも笑うことができませんでした。
ただ2期の最終話を見ればある程度こういった展開になるのは想像していました。
比企谷八幡、雪ノ下雪乃、由比ヶ浜結衣の3人がお互い納得のいく形で「終わらせる」ことに焦点をあてたストーリーになるということを。
方向転換するにしても何も問題解決がされないので結局もやもやしてしまう。
ラブコメに焦点を当てた旨、この展開は避けては通れないものとなってしまいました。
雪ノ下陽乃は結局何がしたかったのか
2・3期を通して雪ノ下雪乃の姉である陽乃は彼らのコミュニティに片足漬け込んで一体何がしたかったのか・・
アニメだけ見てもいまいち分からない、ですが僕なりに考察を落としていきます。
いまいち分からないのは陽乃さんだけじゃなくて、主人公やヒロインにも当てはまり「ホンモノ」だとか「ニセモノ」という言葉を使います。
一体君らは何を求めているのか・・
理想はお互いが傷つかない関係性でしょうか。
今構築されているのはニセモノ=お互いは傷つかないが本音を言えない形だけの関係性。今の日本社会そのものですね・・
ホンモノとはお互いの気持ちを言い合える状態でのコミュニティ。
そして陽乃さんはニセモノでもいいと思っている彼らに納得がいってない。
陽乃さんは20年ニセモノの関係で積みあがった現在とその経験から得られる幸福は何一つとしてない。
だから妹である雪乃にはホンモノの環境に身を置いてほしい。
こういったところでしょうか。
ニセモノだけの環境下で育った陽乃さんは家族である雪乃さんにすら本音で気持ちを言い表すことができないかわいそうな人です。
女性版比企谷八幡というわけだ。
一歩間違えれば信頼関係を一気に破壊する爆弾そのもの。
自分は”酔えない”と言っていましたが、自分に酔っていなけばあんなに回りくどくて恥ずかしい言葉は言えません。
ここでいう”酔う”とは「感情に走って理性を失うこと」、”酔えない”とは「理性を失うことがない」を意味していると解釈していますが、理性を失うことが無いと思い込んでいる時点で理性を失っているように思ってしまいます。
まあここまで陽乃さんのことを酷くいっていますが、こういう闇を抱えている人は嫌いじゃありません。
由比ヶ浜結衣を見る度に切なくなる
由比ヶ浜結衣が涙を流す姿を見て何度胸の奥が締め付けられるような感覚になったことか。
3期は観ていて本当に辛かったですね。
個人的にアニメの中で好きな女性ランキング1位ですよ。ガハマさんは。←知らんがな。
そんな子が報われないなんて死にたくなるじゃないですか・・どうぞご勝手に。
でも最終的に八幡がちゃんと決断してくれたことは評価に値します。←何その上から目線。
あのまま三角関係をだらだらと続ける決断をとっていたらアマゾンレビューで☆2を付けるところでした。
誰も傷つかない選択は毒の霧雨に突っ込むようなもの。
現代社会のように感情を押し殺すマスクをしていれば毒のダメージを受けないのですが、マスクが嫌いになって集まった3人なわけですからその選択は自殺行為なのです。
心の痛む展開ではありましたが、あれが理想的な結末だったのだと思います。
にも関わらず最終回はちゃっかり3人が集まって以前のように活動再開でエンドとなります。
表面だけを観れば「良かった」と錯覚させられますが、その後のことを想像すると「もうやめて、ガハマのライフは0よ」と横槍を入れたくなる自分がいました。
冷静に考えて由比ヶ浜視点、好きな異性がイチャコラしている姿を観れば殺意が湧きますし、八幡視点彼女がそばにいるにもかかわらず、ガハマさんに気を遣わなくてはいけない時間が苦痛になります。
雪ノ下雪乃さんはその状況をほくそ笑んでいそうですが・・
「やはり俺の青春ラブコメはまちがっている」
本当にその通りだよ!!と思いましたよ。
由比ヶ浜結衣が勝てる世界戦はあったのか
この3人が集まってこそストーリーが成り立つわけですが、もし由比ヶ浜結衣が勝てる世界戦があったとするなら。
前提として言っておきますが錘(おもり)を抱えた比企谷八幡と交際する世界戦は勝利とは呼べません。
なので由比ヶ浜結衣が八幡を好きになるきっかけを消すこと=入学式当日、愛犬のサブレを散歩に行かせないことが勝利条件となります。
その後誰を好きになるかは由比ヶ浜結衣が決めること。
結果的に八幡を好きになるのならそれでよし。
八幡を好きになるとして「犬を助けられたから今の関係を続けている」と思わせないことが勝利条件の一つです。
もちろん由比ヶ浜結衣はそんなことで今の関係性を続けているわけではないし、八幡自身もそれを理解しています。
ただ残念ながらこの主人公はとんでもなく卑屈なのです。
一貫性の原理という言葉があるように人は「自分の態度・発言・行動などに“一貫性”を持たせたい」という心理的な傾向性を好みますので一度定着した考えはなかなか変えたくないわけです。
卑屈に一貫性の原理が働くと、うん、それはもう最悪ですね。
だから由比ヶ浜結衣はニセモノの関係を仕方なく続けていると思わせた時点で一貫性の原理により勝機は失われてしまいます。
八幡が雪ノ下雪乃と交際できたのはすでに0地点での関係性から始まっていたとお互いが認識していたから。
愛犬を助けられて好きになるきっかけが無かったとしたら、由比ヶ浜結衣が八幡と交際できる可能性は限りなく0に近いですが、ニセモノの交際にはならないんじゃないかと思います。
リアルでは感動できないけどアニメでは感動できる
俺ガイルを見るといろいろな感情が沸き上がります。
リアルでは到底味わえないような感動。
結局自分も比企谷八幡のように人から避けて恋愛だったり社会コミュニケーションから逃げてきました。
豆腐メンタルなので失恋とか裏切りとかされたら立ち直れない。
なので極力自分が傷つかないように人から避けてきました。
幸福度は人との関りが重要だと言われていますが、本当にその通りである程度のリスクを乗り越えた先には幸福を得ることができます。
ただ親の離婚だったり現父親と母親の喧嘩なんかを見ていると、どうもその先の幸福をイメージできません。
それに人と深く付き合わずともこうやってアニメを観れるだけである程度僕は幸せだと思っています。
だから今はこれでいい・・
ニセモノの関係すら築けない僕はしばらくこの生活を続けたいと思います。
とはいっても、やっぱりこういったアニメを見ると心にぽっかり穴が開いているんだと実感させられます。
人間は嫌い。でも欲に忠実に生きている人間は羨ましくもあり尊敬すらしています。
幸せになりてえな。
おまけのイラスト
最後におまけのイラストを。
著作権に怯えているのでオリキャラ(山祇マウンテちゃん)に出演してもらっています。
由比ヶ浜結衣の無くシーンがとても印象的だったのでそれを参考にしました。
最後のほうは苦しくなるので中盤のシーンにさせていただきました・・
制作時間:360分