僕はアマゾンプライムに加入していて、週に1回まとめて1クールはアニメを見ています。
一気に視聴しているのは続きが気になると仕事に集中できないからです。←つまりダメ人間ってこと。
基本的に見るのは☆4以上の評価を得ているアニメのみ。
社会人にもなると時間を割くことができず、視聴を厳選しているというのが現状です。(いつか自由になってどんなに評価が低いアニメも見れるような時間がほしい・・)
僕が高レビューと低レビューを見る2つの理由
さてここからが本題。
僕の場合、評価は最初に見ますがレビュー内容はアニメを最後まで見た後に見ます。
高評価、低評価問わずネタバレ多いからね・・
なので最後まで見た後にレビューを見るのですが、レビューって個人の色々な意見があって面白いですよね。
その中でも目に留まるのが高評価(☆5)のレビューと低評価(☆1)のレビューです。
高評価のレビュー見る理由は共感欲が満たされるからでしょうか。
共感欲なんていう熟語があるのかはさておき、要は「ここに感動した、ここが魅力的だった」という着眼点が自信の着眼点と一致したときの快感が堪らないのです。
ここに気づくとは分かってるねーきみーみたいな。←何様だ。
続いて低評価のレビュー見るのは自分とは違った視点の持ち主の可能性が高くアニメの見方をより楽しめるきっかけになるからでしょうか。
どんなに高く評価されている作品でも一定数以上の低評価がつきます。
そんな人たちはどういった着眼点と感性を持っているのか?
それが気になってチェックしています。
たまーに180度自分とは違った視点で”なるほどな”っていう感想が書かれていたりすることもあるので見ていて結構面白いんですよね。
低レビューをしている約半数が最後まで見ていない
さて、ここで僕は低評価のレビューをしている一部の人に対し声を大にして言いたい。
「最後までみてからレビューしようよ!!」
感覚ですが、低評価のレビューをしている人の約半数が「つまらなくて途中で見るのを辞めた」みたいな理由でレビューをしやがる。
最後まで見たうえでつまらなかったならそれは仕方のないこと。
感受性は人それぞれであって、どのように評価をするのは自由です。
でもね、それは最後まで見た人にしか与えるべきではない特権だと思っています。
最後まで見ずに低評価をする行為はティラミスの上のココアパウダーだけ掬って「これは苦い、おいしくない」と言ってるのと変わらないからね。
「宇宙戦艦ティラミス」の”宇宙”しか見ずに評価するのと同じだからね!!←宇宙だけ見るってなんかかっこいい・・
とにかく、最後まで見ずして低い評価をするのはお門違いっていうことを言いたいわけです。
最後まで見てないけど高評価するのはどうなのか
その理論でいうと最後まで見てないけど高評価レビューを残している人も批判していることになるのでは?
と疑問に思う方もいるかもしれません。
確かにそうだ。
だって、読書感想文を書けって言われてあらすじだけ見て読書感想文を書いたって何の感銘も受けませんからね。
本来評価というのは、高レビュー低レビューにかかわらず最後まで見てから感想を残すというのが、アニメや作者に対する礼儀なのではないかと思う。
最初は面白かったのに、終盤はぐだぐだでつまらなくなった作品も少なくはないですからね。←何とは言いませんが最後までチョコ詰まってないじゃんって感じです・・
それでも最後まで見ずとも高評価のレビューを残す人に非はないと思っています。
高い評価が残れば、そのアニメを見るきっかけになるからです。
どんなに面白いアニメでも見られなければ意味がない。
大抵のアニメは一つの話題から見るきっかけが与えられる。
その話題の一つにレビューというものがあります。
もしも最後まで見ないと評価を付けられない縛りがあったとしたら、話題になる起爆剤を失うことになる。
そう、どんなに面白いアニメでも見られなければ意味がない。(大事なことなので2回言いました)
だから途中の視聴であっても高い評価を残す人に非はない、むしろそういう人たちがそのアニメを見るきっかけを作ってくれるので必要な存在だと言ってもいいでしょう。
そういった意味でも低評価のレビューは見るきっかけを潰すことになりかねません。
最後まで見たうえでどちらの評価を付けるのは個人の自由。
でも低評価するなら最後まで見てほしいなっていう完全に個人的な意見を挟んだ内容の記事でした。
終わり